あくまで個人的な雑です、ですから、あまり真に受けないでください

ぷよ ラスト

ものの見方の提案なんですけど

 

構築は

1.理想形の選択すること 

2.理想形にあてはめるようにツモを配置すること

に分けられます。

 

従って、構築する際に起こる困難も、

・理想形によるもの 

・ツモによるもの

に分けられます。

 

ーーー

 

理想形には、

・連結の仕方 

・色の位置関係

という性質があります。

 

連結の仕方は自明ですが、色の位置関係については、少し考察の余地がありそうです。

 

 

連結の仕方は同じです。

しかし、上図は氷ぷよのマスに三色を受け入れることができますが、

下図は二色しか受け入れることができません。

 

この差は氷ぷよの接する色の数によります。

 

見据えている理想形は同じですが、できるだけ、上図のような位置関係になるようにツモを配置するのがいいと思います。

 

また、接する色の数が多い連結、つまり、受け入れられる色の数が少ない連結は、早めに色を確定させるといいと思います。

それは、例えば、3列目の縦2であったり、4列目の縦2であったりします。

逆に、1,6列目は壁と接するので、受け入れられる色の数が多いです。

 

ーーー

 

ツモには、

・あらかじめ色が決まっている

・ぷよが二つ一組で降ってくる

・下から積み上げることしかできない

  という性質があります。

 

これらの性質に着目することで、

・同色待ちをすべきではない 

・端列や完成列の扱いに気を付けるべきだ

・段差をつくるべきではない

などの指針を導くことができます。

 

ーーー

 

・理想形の形や色の種類を減らさないこと

・できるだけすべてのツモを配置できるようにすること

以上二点に注意しながら、理想形にツモを当てはめることにしています。

 

この結論は、僕を満足させました。

 

 

雑52

書き留めておくべきだと思ったから、書き留めておく

最近、ロックマンの同人ゲームのChronoXというのをちまちまやってる

 

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こんな感じです

 

そうだな、小学生の頃とかは、このソードのチップのイラストが好きで好きでたまらなかった、これを見てるだけで満足してた気がする

 

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そういう思い出がどどどって蘇ってきたので、こうやって衝動的に書いてる

 

・・・

 

これと似たような話で、攻略本を読むのが楽しくて仕方なかったり、説明書を読むのが楽しくて仕方なかったりした

 

遊戯王のカードを真似て、自分で自由帳に書いたりとか・・・

 

今の自分には考えられないような楽しみ方をしていた

 

・・・

 

今と昔で何が違うんだろう

 

多分、一番大きいのは、世界に対する驚きがなくなってしまったことだと思う

要するに、あって当然というか、予測可能というか・・・

 

・・・

 

自分には、過去の記憶というのがほとんど無い

忘れっぽいのか、そもそも関心が無くてあまり記憶してないのか、なんなのかわかんないけど、とにかく、昔のことはほとんど覚えてない

 

最近、そのことが無性に悲しくなるときがある

 

・・・

 

これも今日ぼんやり思ったんだけど、なんとなく自分で行為をしていない実感っていうのが昔からあって、それもこれに関係してるのかな

 

ーーー

 

関係ないけど

 

ドーパミンは生存に適した状況が、(かなり広い意味で)予想外に、達成されたときに生まれるらしい

 

これは自分にとっての快楽の実感とも上手くすり合わせができて、納得いくんだけど

 

なんか最近、科学をそのまま信じることができないというか

 

もやもやする・・・

雑51

最近、何も信じられない病だった。

どんなものを読んでも、でもそれってどこか間違ってるかもしれないよね、みたいな・・・。

 

疑うことや信じることは、あくまで手段の一つに過ぎないのかもしれない。

そう考えると、楽になった。 

 

今自分が見てる風景だったり、聞いてる音、そういう現象のようなものは疑いえない。

そして、私が快を感じることや、快を好むことは私にとって現象として確かだ。

 

だから、快が感じられるように、信じたり、疑ったりすればいいだけなのかもしれない。

 

ーーー

 

情報収集が下手だったかもしれない。

どの本を読めばいいか分からないから、どうも本を読む気になれなかったのかも。

 

四葉のクローバーを見つけるために、ただ街を歩き回るのは非効率だ。

緑のある場所を歩き回らないといけない。それでもまだ足りない。

クローバー畑を歩き回らないといけない。それでもまだ足りない。

そのクローバー畑で四つ葉のクローバーを見つけた先人にどこら辺で見つけたのか問うのが一番手っ取り早いんだと思う。

 

そういうわけで、エロゲ おすすめ でGoogle検索したり、批評空間を見たり、Amazonを見たりするのも良いと思うけど、やっぱり、自分と嗜好が似ている人のブログだったりまとめだったりを見るのが一番手っ取り早いのかも。

 

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図書館検索サイト カーリル というのがアツイ

 

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最近、暖かくなってきましたね

 

雑50

なんか思い出したからだらだら書くんだけど。

 

僕は昔からとにかく物事に興味が持てなかった。

母親から何度も何度も 興味を持つようにしなきゃね~ って言われてた気がする。

 

いや、ゲームとかはすごい興味あったんだけど、ゲームしか興味が無かった。というか、幼少期にゲームにはまりすぎて、ゲーム以外に興味が持てなかった、興味を持たなければいけない理由がよく分からなかった、そんな記憶があるような無いような。

 

多分20年間くらいそうだったんじゃないかな・・・。今は幾分マシにはなったと思う、幾分なんだけど・・・。

 

小中高と、自分のおっちょこちょいなところが評価されてたから、どんどんおっちょこちょいになるように生きてしまったんだろうなあ・・・。

 

物事に興味が持ててないからかな、他人と比べて、吸収率がとても悪い。

かなり頑張らないと文章が頭に入ってこない。

文章に限った話じゃなくて、感覚全般が・・・。

 

こういうことに気づいてはひどく落ち込むのも昔はよく繰り返していたけれど、今となっては、もう仕方ない、どうしようもないものとして受け入れてしまって、そのことに気づくことすらできなくなった。

 

 

なんなんだろうなあ

 

何が書きたかったのか、何を考えてるのか・・・

 

自分のことが一番よくわからないわ・・・

 

なんで神様はこんな世界つくったんだろうなあ

今、全く萎えぽよとかではないんだけど、ただただ純粋に、どうして?って思う。

もっとすべて平等でさあ・・・もっと、こう・・・なんかあるだろ

 

 

雑49

とても良い発見をした。

 

私は、未知を恐れていた。

 

私は行為をする前に、目的や方法を整理して、それから、取り掛かるように心がけている。

方法について考えることは、未知を既知なものに仮定して、そこで起こりうる困難を予測して、それを避けるような目的を得る手順を考えることだ。

 

例えば、とある山に絶景スポットがあって、今日はそこに出かけようとしたとする。そのとき、地図を確認して、もし渡れないような川があればその川を避けるような道のりを考えると思う。

 

現実で、未来が正確に分かる場合はほとんどない。

例え話にあてがうなら、なんでもいいけど、その地図が50年前のものだったり、子供の落書きのようなものだったりして、とてもじゃないけど信用できない場合に似ている。そういうとき、出かける気持ちは薄れてしまう。 この地図には書かれてないけど、他にも渡れない川とかいっぱいあるんじゃないか?ほんとに辿り着けんのか・・・?みたいな・・・。

 

 

未知を困難の温床として、恐れてしまう。

 

だから、何か普段行わない、不慣れなことに挑戦するとき、予想外の困難に出くわすんじゃないかと不安になって、なかなか取り組めない。

 

未来が怖い。めんどくさい。

 

 

そうでもないんじゃないかって気づいた。

 

未知を困難を予測するための手段として扱うことが多いから、未知には予測もできない困難が蔓延ってると思いがちだ。

 

でも、未知の中には、私が求めていた目的以上の何かが眠ってる可能性も同様に考えられる。

 

絶景スポットに行く途中で、地図にも載ってない森に迷ってしまうかもしれない。でも、そこで満開の桜が咲き乱れるような場所、絶景スポットなんかよりもよっぽど価値あるもの、そういうものに出会うかもしれない。

 

未知の中で、偶然出会った価値あるものは、自分にとって本当に価値あるものであることが多いように思う。それは、自分が予想もできなかった、欲しいと思うことすらできなかったものだから。

 

 

だから、未知に億劫になるのをやめたいな。

 

未来も悪いことばかりじゃないよきっと。

今の自分には考えられないような良いことが待ってるはず。

 

 

なんか分かりにくい文章になったと思う

雑48

 

これから書く話は、まだ自分でも上手く掴みきれてないんだけど

 

ーーー

 

私というのは、観測者なのかもしれない。

 

深夜、高層ビルの上層階の一室、展望室。

望遠鏡が設置してある。

私はそれを窓に向けて、世界を眺めている。

 

その望遠鏡は少し特別だ。

写した世界の様子に応じて、生気や死気を放出するのだ。

それらは室内に充満していく。

 

私はその望遠鏡を回転させて、室内に向けることもできる。

生気や死気に満ちた室内を写した望遠鏡もまた、生気や死気を放出する。

それらも室内に充満していく。

 

世界は生に向かう。

部屋が死気で満ち始めると、世界は、部屋を生気で満たすように、変わり始める。

部屋も世界の一部だからだ 。

 

世界は、部屋を生気で満たすように、変わろうとする。

けれど、私は、部屋を生気で満たすように、世界を眺めるわけではない。

なぜなら、部屋が生気で満たされるかどうかは、世界を眺めてからでないと分からないからだ。

 

私は、自分の眺めたいように、世界を眺めることができる。

私は、観測者として、自由なのかもしれない。

 

・・・

 

実際に、部屋が生気で満たされるかどうかは、世界を眺めてからでないと分からない。

けれど、私たちは、どの辺りを眺めれば部屋が生気で満たされるか、幾らか予想できることも多い。

生気も死気も、幾らかは、自分の満たしたいように満たすことができる。

 

部屋を生気で満たすかどうかで、世界の動きも変わる。

世界も、幾らかは、変えたいように変えることができる。

 

ーーー

 

カードキャプターさくら 40話 と 見上げてごらん夜空の星を が効いてる気がする。

自分の場合、思考が日常生活の経験に影響されることは多い。

逆に言えば、日常生活の経験は思考の糧になることが多い。

 

雑47

 

正しい方法というのがあったとして、それじゃあその正しい方法を知らない今の私の行為は、正しいものではないのかな。

 

 

そもそも行為って何だ。

方法って何だ、正しいって何だ。

 

世界って何だ、言葉って何だ、私って何だ。

 

 

今、自分は生きていると思ってるけど、本当に生きているのかな。

生きるって何だ。

 

何だって何なんだ。

 

考えないことによって救われるかもしれない。

考えないって何だ。救われるって何だ。

 

何を目指して生きていけばいいんだろう。

 

 

 

考えないで取り組むより、考えて取り組むほうが色々お得だったりすると思うけど。

ところで、お得って何なんだろう。

 

考えすぎると、こんな感じになって損だと思うけど、基準はどこにあるんだろう。

 

 

科学は発展するけど、何のために発展してるんだろう。

幸せになるためなのかな、だとしたら、これまで生きてきた人はやっぱり今よりも不幸なのかな。

 

 

 

ときどき、本当にこんな感じになるのやめたい

 

なんだろう、もやもやするのは不毛だとなんとなく分かってるんだけど、不毛だと言い切れないから困ってるのかな、それすらももやもやしてよくわからん

 

 

この文章も一体何なんだろうね、そもそも文章って何だ